The Gift of the Magi について

9月例会では、馬場彰先生が様々の英語の解釈の上で面白い問題を取り上げて説明されましたが、その中の1つ、O.ヘンリーの短編、The Gift of the Magi に関連することで、とくに気にかかっていることについて述べます。

原作では

貧しい若い夫婦が住んでいるアパートのことが描かれている一節です。原文は次のようになっています。

There was clearly nothing to do but flop down on the shabby little couch and howl. So, Della did it. Which instigates the moral reflection that life is made up of sobs, sniffles, and smiles, with sniffles predominating.

While the mistress of the home is gradually subsiding from the first stage to the second, take a look at the home. A furnished flat at $8 per week. It did not exactly beggar description, but it certainly had that word on the lookout for the mendicancy squad.

最初の段落の最後のセンテンスは、

人生は「むせび泣き」と「すすり泣き」と「ほほえみ」とで成り立っていて、わけても「すすり泣く」ことが一番多いという人生論的感慨があらためて湧いてくる。

というふうに訳せますが、sobs(大泣き)、sniffles(鼻がぐしゅぐしゅするくらいのめそめそ)、smiles(ほほえみ) というふうに s ではじまる3つの単語を並べて、しかも、最初は(ショックで)大泣き、ついで(気持ちが落ち着いてきて)すすり泣きになり、最後は(さびしい?)微笑となるという並べ方も、納得です。まさにこれが人生ですね。感慨の内容といい、表現のレトリックといい、なかなか見事な手腕です。

ただし、instigatesが現在形であることから分かりますが、これは語り手の感慨であり、デラが思ったのではないことに注意です。

2つめの段落、「この家の主婦が最初の段階から2つめの段階へと移りつつある間に、この家に目をむけよう」、すなわち「しゃくり上げていたデラの涙がようやく収まりかけてくるあいだに、この家のようすを眺めてみよう」というセンテンスと、それに続く部分が問題です。

様々な解釈

先日の馬場先生の資料から引用させていただく形で、いくつかの意見を眺めて みましょう。

(A) 『研究社少英文叢書』(中内正利・編注)の注釈。

(1) that word:先行する”description”なる語にreferするが、その意味は “description” の対象である “appearance”(of the flat) と見る。

(2) on the lookout: 「見張り番に」

(3)mendicancy squad: 「警察の乞食狩込班」警察には”homiside squad”, “pickpocket squad.” “detective squad,” “motorcycle squad”等いろんなsquadがある。アメリカでは乞食するのは違法で、これは法の制裁を受ける。「風物」参照。この辺り「Dellaの家が余り貧弱で、乞食の巣窟然としているから、警察の狩込班が乗り込んで来るおそれがある。そこで、その家は、狩込班がいまにも来るかとビクビクもので見張っているような様相を呈している」 といった位のボロ家だという意

(B) 『愛の珠玉作品集』(岩本厳/森田孟・編注: 朝日出版社)の注釈。

(1) that word: beggar という言葉。「乞食」という意味を持つその言葉。

(2) on the look-out for〜: 「〜に注意をむける」ここでは前の have 動詞に「ある状態にさせる」意があるので、「〜に注意をむけさせる」となる。

(3) the mendicancy squad: 「乞食の集団」この部分は、「明らかにそのアパー トは beggar という言葉から貧しい人々の方を連想してしまう」意。

(C) 『賢者の贈り物』(芹澤恵訳: 光文社古典新訳文庫)の訳。

小さなみすぼらしいソファに身を投げ、思いっきり声をあげて泣く以外に、何ができるというのか? だから、デラはそうした。そうしたことで、一つの悟りを得た — 人生は”むせび泣き”と”すすり泣き”と”微笑み”から成り立っていて、なかでも”すすり泣き”の時間がいちばん長い。

むせび泣いていたこの家の主婦は、やがていくらか落ち着いたすすり泣きの段階に移行すると、部屋のなかを見まわした。週八ドルの家賃で借りている家具付きのアパートメント。ことばに窮するほどではなくても、窮していることに変わりなく、いっそのこと路上の生活困窮者を取り締まる警察隊を呼び止めて、ついでにここの貧乏神も追い立てていってくれないかと頼みたくなる

以上が、馬場先生の資料からの引用です。さらにわたしから2点追加します。

(D) O. ヘンリー短編集(高瀬省三註解、成美堂)

[I]t had that word on the lookout for the mendicancy squad = the flat was so poverty-stricken that one might have thought that it was watching for the mendicancy squad to come and take away the beggarriness from the flat. that word = beggar. mendicancy squad「乞 食狩りの警官隊」

(E) 『O. ヘンリ短編集』(大久保康雄訳、新潮文庫)

みすぼらしい小さなベッドに身をなげて、わあわあ泣くよりほか、どうしようもなかった。だからデラはそうした。そうしているうちに、人生は「むせび泣き」と「すすり泣き」と「ほほえみ」とで成り立っていて、わけても「すすり泣く」ことが一番多いということがわかってきた

むせび泣いていたこの家の主婦は、次第にすすり泣きの段階に落ちついてくると、部屋の中を見まわした。週八ドルの家具付きのアパートだ。言語に絶するほどひどくはないにしても、この部屋のたたずまいは、たしかに浮浪者狩りの警官隊が乗り込んでくるのを警戒するだけのことはあった

(F) 最後に、馬場先生の「試訳」を紹介させていただきます。

人生というものは、むせび泣きと、すすり泣きと、微笑みから成り立っていて、なかでもすすり泣きが群を抜いて多いという確かな考えがもたらされるのである

この家の主婦が、第一段階のむせび泣きから第二段階のすすり泣きへ移行しつつあるのを利用して、家のなかをちょっと見てみましょう。筆舌に尽くしがたいというのは言いすぎかもしれないが、確かに彼らのアパートは、警察の乞食掃討班にいつ踏み込まれてもおかしくないほどの貧乏所帯であった

ぼんくら解釈

同じパッセージについての6人の見解を紹介したところで、私自身の恥を告白しておかなければなりません。もう15年ほど前になりますが、この部分について考えたことがありました。実はよく分からないので、同僚であったイギリス人とアメリカ人に尋ねました。ところがです。二人とも、よくわからないというのです。二人とも語学を教えるだけでなく、東大で文学や哲学の専門科目を担当する教養ある人たちですが、意味が直感的にすっと入ってこないというわけです。

それでも、私がああか、こうかと質問(誘導尋問?)するうちに、以下のような結論に達しました。

that word はあいまいだが、たぶん furnished を指す。ここではアパートが人間に喩えられおり、「浮浪者取り締まり」は文字通りのものではない。すなわち、このアパート氏、何も持ち物がない状態だとしたら、それこそ乞食とまちがえられて、取り締まり部隊にしょっ引かれるかもしれないが、そんなことになってはいけないので、取り締まり部隊がきたときにそなえて、実はろくすっぽ家具もないのだけれど、とりあえず「家具付」という肩書きをちらつかせているのだ…

これが15年前の考えで、その時は納得していました。しかし、今の時点から振り返ると、ちがうのではないかと思います。面白い読み方であり、意味としては一貫しているのですが、複雑すぎると思うのです。

「貧乏」という御札

今だったら次のように考えます。

“It did not exactly beggar description, but…”と「箸にも棒にもかからないほどひどい状態ではないが」とくると、次の一句は「それでもひどいことに変わりはない」という流れが自然です。また、that word は “beggar” ととるのが自然です。”furnished” よりも近くにあり、not exactly とcertainly で対比されているからです。

すると、”it certainly had that word on the lookout for the mendicancy squad” の部分は、

(1) It had the appearance that reminds you of the word “beggar”, which makes you worry about the possibility of the mendicancy squat arriving at any moment.

(2) It had the word “beggar” writ large on it, begging for the police arrest (calling for the police to arrest it / that might warrant the police arrest / inviting the police to come).

などとパラフレーズができるのではないかと思います。そして、どちらかといえば、(2)のほうが、O.ヘンリーの意図に近いのではないかと思います。つまり、日本語でうんとていねいにパラフレーズするなら、

「アパートのたたずまいは筆舌に尽くしがたいほどのひどさだ」とことばの貧しさを嘆くほどではないが、貧しいといえば貧しいに違いなく、まるでそこに「貧乏」と大書してあって、警察の乞食狩り専従班ににどうぞ逮捕してくださいと叫んでいるほどの貧しさだ

我々も、似た言い方をすることがあります。数日家をあけると、新聞がポストからあふれることがありますが、そんなとき、

郵便受けから新聞がはみだしているなんて、「留守」と書いた札を貼りだして、泥棒さん、どうぞ入ってくださいと言っているようなものだ。

どうです。こんな風に言いませんか?

このようなユーモラスな言い方で、O・ヘンリーは、いかに貧乏であるかを表現しようとしたかったのです。ここに引用した3パラグラフのうち、第1パラグラフでは、 ”Which instigates the moral reflection that…”と、作者が顔を出して。「人生は…」と感慨にふけっています。第2段落では、「デラの悲しみが収まってくるあいだを利用して」と、ここでも顔を出して、作者の視点からアパートを描いています。すなわち、作者が遠慮会釈なく顔を出して、読者に語りかけ、しかも “life is made up of sobs, sniffles, and smiles, with sniffles predominating”と、s の頭韻を重ねた、「いかにも」という格言風の言い回しをして、「どうだ、うまいだろう!」と大みえを切っています。

その流れで、”It did not exactly beggar description, but it certainly had that word on the lookout for the mendicancy squad.”と、簡潔で、端正な言い方をして、段落を締めようとしました。だけど、「その意図やよし、されど…」で、やや無理な言い方になり、わかりにくくなってしまいました。

これが分からないなんて、「おまえが英語できないだけじゃないか」と言われそうです。いかにも。まさに図星です。されど私が相談したネイティヴの同僚たちが首をひねり、ネット上でもネイティヴたちが鳩首議論を重ねているようなので 、このぼんくらが理解するのに15年以上を要したとしても、まあしかたのないところでしょう。お赦しください。

それぞれの解釈や翻訳についてのコメントは控えますが、馬場先生の英語の読み(F)はさすがすごいと思いました。脱帽です。

英語の理解度については様々ですが、優劣の判断や評価はさておき、原作との距離をどれくらい許容するか? これは時代とともに変わる変数です。文化の中で翻訳がどのような位置をしめるか、どのような役割を期待されているのか、過去と比較してどうなのかなど、上の例は翻訳の社会学的研究にとって、観察の材料として興味深いと思います。(SY)

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