ベケットを翻訳する
鈴木哲平(江戸川大学)
2018年から2022年にかけて、白水社から『新ベケット戯曲全集』が刊行された。私鈴木もこの翻訳チームの一人としてこれに参加した。この経験をふまえつつ、「ベケットを翻訳する」ことについて簡単な報告を行った(なおこの報告は、2022年6月日愛協会公開講座「アイルランド文学を翻訳する」と内容的に重なることをお断りしておく)。
ベケットはアイルランド生まれで、1950年代に『ゴドーを待ちながら』をフランス語で書き、不条理劇の代表的作家として世界的な名声をかちとった。日本でも早い段階で受容され、その戯曲が翻訳され、とくに安堂信也・高橋康也訳による『ベケット戯曲全集1-3』が長く定訳として普及してきた。今回の新訳はそれ以来50年ぶりの改訂ということになる。
ベケット翻訳固有の問題として、彼が英語とフランス語のバイリンガル作家であり、かつ、一方から他方に自ら翻訳し続けたということがある。たとえば『ゴドーを待ちながら』や『エンドゲーム』はフランス語で最初に書かれ、のちにベケット自ら英語に翻訳した。『クラップの最後の録音』や『幸せな日々』のように英語で執筆してから仏訳した作品もある。今回の翻訳は、フェイバー社から出版された新しい校訂版を底本としており、すべて英語版からの翻訳となる(もちろん対応するフランス語版もつねに参照している)。
今回の翻訳は、チームの方針として「読みものであるよりも上演のための台本」「格調高い言葉より俗っぽくコミカルな言葉」を目指した。具体的な翻訳の例として、『ゴドーを待ちながら』と『クラップの最後の録音』を検討する。
『ゴドーを待ちながら』第1幕冒頭、VladimirがEstragonを発見して言うセリフ “So there you are again.” を「またおまえかよ。」と訳している。旧訳では「やあ、おまえ、またいるな、そこに。」であったが、当時の翻訳語調や、新劇の口調を感じさせるが、これに比べて新訳は、日常的に用いられる言葉、あるいは漫才のような言葉を敢えて採用している。
また、『クラップの最後の録音』で、テープに録音されたクラップが昔の恋を回想するとき、“Let me in. (Pause.) We drifted in among the flags and stuck.”と言う。旧訳では「おれを見てくれた。(間。)ボートが生菖蒲のあいだに流れていって、つかえてしまった。」と訳していたが、新訳では、2人がボートでむつびあう場面に合わせて「いいだろ?(間)おれたちは、ツンツンと立ち上がった菖蒲の葉の間を漂ううちに、先に進まなくなった。」と訳し、性的な暗示が込められていることを少しでも表現しようと努めた。
一般に小説や詩に比べて、人の話す言葉で出来上がっている戯曲の翻訳は、時代の変化や同時代の言葉の影響を受けやすい。したがって一つの翻訳に固執せず、近い将来また別の翻訳が現れ、複数の翻訳が存在するような状況こそ、理想的だと言えるのかもしれない。
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