2019年9月例会報告

例会報告

9月14日に行われた例会のご報告です。

東京外国語大学の名誉教授で、有名な言語学者の馬場彰先生に「英文法なんて こわくない:わたしの翻訳論」という題名でご講演いただきました。

まずは、言語学のごくごく簡単な歴史。20世紀前半には構造言語学が流行し、 後半に入ってチョムスキーの生成文法によって言語学の風景が一変したが、さらにこの生成文法から生成意味論、認知言語学などの「鬼っ子」が生み出され て、現在の状況になっているという流れをざっと紹介されました。

ついで、第1部「文文法の世界:伝統文法と生成文法の貢献」では、面白い文法現象が見られる、意味をつかみにくい例が次々と紹介されました。

(1) Edward Sapir: “Language”
(2) Neil Smith: The Twitter Machine: Reflections on Language
(3) Edmund Blunden: Undertones of War
(4) John Galsworthy: Indinan Summer of a Forsyte
(5) D.H.Lawrence: Lady Chatterley’s Lover
(6) A.C.Doyle: “The Red-Headed League”
(7) Bernard Malamud: “The First Seven Years”
(8) 関係詞・接触節
(9) 動名詞の諸相

第2部は「談話文法の世界:文学テキストの解釈に対する新たな貢献」という題で、談話構造の観点から、翻訳家が注意すべき表現について話されました。 中でも”Well”や”Why”の間投詞用法や、in fact と indeed の用法の説明はと ても参考になりました。

第3部は「社会言語学観点の必要性:漱石研究の現場から」という題で、イギ リスの文化や、19世紀の文脈を知らないがゆえに漱石研究において生じている錯誤についてご紹介されました。

第4部は「翻訳実例の検討」で、O.Henryの The Gift of the Magi とF.Scott Fitzgeraldの The Great Gatsby からの一節を素材として、いくつかの翻訳例 が比較されました。そして、この例に見られるいくつかの「誤訳」が文法的知 識の欠如から生じていることが示されました。

この最後の第4部がメインディッシュですが、第3部までのお話しが長びいた ので、第4部は急ぎ足で説明されました。

「誤訳」というコトバはずっとむかしから用いられてきましたが、刺激的で、 挑発的で、扇情的で、かつどこか淫靡なというか、陰険でいじわるな響きがあり、わたしはあまり好きではありません。「英語の解釈が違っている」、「翻訳として適切でない」、「翻訳とは呼べない」などより客観的な言い方のほうが好きです。

「誤訳」という伝統的な語はこのようなニュアンスを持ってしまうため、ことさらに既存訳の「誤訳」を指摘するのはあまり気持ちのよいものではありません。そんなお気持ちもあって、第4部はさっと通りすぎられるよう、「時間調整」をされたのか、とも思いました。

それはともかく、2時過ぎから5時半に及ぶ大講義の全体を通じて、翻訳を目指す人(我々)のため、英語学者としての立場から役立つ知識を教えようという熱意と、善意にあふれた、すばらしいお話しであったと思います。

このようにメインディッシュはやや切り詰められましたが、場所を移して行われた懇親会では、たっぷりとデザートをいただき、日本における英語学の流れ、様々の英語学者の横顔、それに馬場先生ご自身のご研究について、さらに深く教えていただきました。(SY)

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